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zoom RSS 「想像を超える」システムとしてのプロレス

<<   作成日時 : 2007/01/16 23:46   >>

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プロレスとは予定調和の世界です。
試合の進め方において、「プロレスは受けてナンボ」というような、明文化されることない数多くの“約束事”があり、また、ひとりひとりのプロレスラーの戦い方にも、一流といわれる選手になればなるほど決まった“型”があります。勝敗ということにこだわるならば、決まり手などにこだわらず、その時々の状況において“最善手”を選ぶのが正しいのであり、“フィニッシュ・ホールド”と呼ばれる特定の技にこだわる必要などまったくないにも関わらず、選手は必殺技で締めくくる自分だけの“スタイル”という名の“定型”を模索し、観客もまた“いつものアレ”が出ることを期待します。かように、プロレスとは部分において自由でありながら、総体的には目に見えない不自由さに縛られている。
一方で、プロレスは常に「観客の想像を超える」ことが求められるのです。
“予定調和”的方法で、観客に一定のレベルを超える満足を与え続けることの出来るプロレスラーは、一流の“プロ”の仕事をしていると言えますし、プロレスの“面白さ”の大部分はここに求めるべき種類のものだと思います。けれど、数多くのプロレスファンがいつまでもプロレスに惹かれ続けるのは、“予定調和”を破り、不意に超然と現れた鮮烈な“感動”を忘れることができないからだと私は思います。
それは。
誰も見たことのない身体の運動であり、
寡黙な男が突然見せる激情であり、
予想外の“結果”であり、
戦いという一種の“争い”を通じて“交感”する人間の不思議であったりします。
“予定調和”の裂け目から予期することなく立ち現れる、それは一瞬かもしれない、自分だけにしか意味を持たないかもしれない、ほんのわずかな“真実”(のように見える)のきらめきを見つけたときの、素直な驚きが“感動”となって心に深く刻み込まれる…。“予定調和”の世界を存分に楽しみながらも、再びあの瞬間に出会えるときを待ち焦がれながら、私はプロレスを見続けているように思います。

世阿弥は『風姿花伝』にこう書き記しています。
「花と面白きと珍しきと、これ三つは同じ心なり」
(花とは「面白さ」であり、「珍しさ」である。この三つは同じことなのだ。)
「ただ珍しさが花ぞと皆人知るならば、さては珍しきことあるべしと思ひ設けたらん見物衆の前にては、たとひ珍しきことをするとも、見手の心に珍しき感はあるべからず。見る人のため花ぞとも知らでこそ、為手の花にはなるべけれ。されば見る人は、ただ思ひのほかに面白き上手とばかり見て、これは花ぞとも知らぬが、為手の花なり。さるほどに人の心に思ひも寄らぬ感を催す手だて、これ花なり。」
(珍しさが花であるとみんなが知っているならば、何か珍しいものを期待する観客の前で、例え何か珍しいことをしても、観客はさほど珍しいとは感じない。観客が花と知らないからこそ、演者にとっては花となる。そうであるならば、観客はただ思いもよらぬ面白いものを観たと思い、これが花だと気付かないことが演者の花である。人の心に思いもよらない感興を起す方法こそが花なのである。)
だからこそ。
「秘すれば花なり。秘せずは花なるべからず」
(花は隠してこその花。隠さなければ花とはならない。)

プロレスの歴史が創造してきた“定型”は、驚き・意外性という「花」を秘しておくための、つまり「想像を超える」感動を生み出すための優れたシステムではないでしょうか。「型」にはまっていればいるほど、わずかな逸脱が意外性を生むのです。
そして。“予定調和”の範疇で観客を常に満足させるのがプロであり「上手い」レスラーなのであって、それを超えるものを見せることが出来るのが「凄い」レスラー=スーパースターなのだと私は思います。

では。プロレスの「花」とはなんだろうか。
例えば技術。
そして、センス。
夢のカード。
並外れた運動神経で、次々と難易度のきわめて高いオリジナルの空中殺法を繰り出す義経。
スピーディに動き回りながら、目を瞠るようなひらめきを見せる丸藤正道。
NOAHから全日本へ、そしてハッスルへ。秋山と戦い、メカマミーと戦い、風香と戦い、永田と戦い、休むことなくありえないほど斬新な“夢のカード”を実現していく鈴木みのる。
これらは確かに彼らの「花」でありましたが、“さては珍しきことあるべしと思ひ設けたらん見物衆”が常に同じベクトルでさらに“珍しきこと”を期待されるようになった今では、もはや“秘せずは花なるべからず”です。
「激しさ」も「楽しさ」もみな同じだと思います。
“珍しきこと”であるためには、どんどんエスカレートし続けなくてはならないものには限界が訪れる。
かつて効果的であったスキャンダリズムも、行き過ぎたためについにはギャグでしかなくなりました。
さらに、プロレスと呼ばれるものの「スタイル」そのものが、かつてない広がりを見せ、スタンダードがないと言えるほど多種多様な展開をしている現状では、もはやプロレスファンを心底驚かせるほどの逸脱は、プロレスのどんな「花」の部分においてもきわめて難しいことです。
「花」がいつまでも「花」として咲き誇ることが困難ならば、プロレスの感動もいつか行き詰るのでしょうか。
私はそうではないと思います。
プロレスが秘している最も美しい花は、プロレスラーという“人間”の中にある。
諦めない強い意志。
悔しさをこらえる辛さ。
好きなことをできる喜びや楽しさ。
抑えることの出来ない怒り。
衆人環視のリングの上で身体を痛めつけあうことだけがいつしか作り上げることの出来る、プロレスラーひとりひとりの感情や信念。
プロレスの戦いというフォルムを破って、時としてあふれ出す生の人間の“真実”。
それはエスカレートするのではなく、経験を重ね、時を重ねることで、変化し深まっていくもの。限界はないはずです。
やはり、プロレスとは。
「花」を生み育て、それを隠し、そして再び華麗に咲かせる…素晴らしい「想像を超える」ためのシステムなのだと思います。

<いいんちょーのひとりごと>
※『風姿花伝』の現代語訳は…意訳なんで、あまりつっこまないで下さい(汗)。「全然意味が違う!」ということであれば、もちろん訂正いたします。

19日は無我に行きます。チケット買ってしまいました…定価で(涙)


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内 容 ニックネーム/日時
そのままイメージ通りを見せて欲しいレスラーもいますが、想像を飛び越えてくれた時に感動があります。技術的なものセンス的なもの色々ありますよね。丸藤もみのるも多彩なセンスの持ち主。だから成功してるんでしょうね。
サンダーリップス山本
2007/01/18 10:46

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