プロレスLOVELOVE愛してる

アクセスカウンタ

zoom RSS 「根拠がない」と感じること〜’06.12.23 SEM G+観戦からの雑想〜

<<   作成日時 : 2007/01/24 23:43   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 3

先日G+で放送された昨年12.23 SEM大会を見ました。
“ボーナストラック”として行われた杉浦vs高岩(ZERO1 MAX)のGHCジュニア選手権試合。この試合後、負けた杉浦が安静を必要としてNOAH本戦を欠場したことを知っていたため、試合を見る目にバイアスがかかっていなかったとは言い切れませんが、ぶっちゃけ、高岩選手の「花道から場外への投げっぱなしパワーボム」には疑問を感じました。
それが“危険すぎる”からというよりも、あの流れの中で出す「根拠がわからない」と思ったからです。
タイトルマッチ級の大一番となると、エプロンや場外で危険な攻防が繰り広げられてしまうのはもうNOAHの“当たり前”になってしまっています。そのことについてはまた別に考えなければならない問題だとは認識していますが、「危険である」と思うと同時に、一定の理解を持って受け入れている自分が確かにいます。NOAHファンとしてそれぞれのレスラーたちが歩んできた戦いの軌跡を目の当たりにしてきて、この人たちがお互いに本気で勝とうと思っているのなら、「このぐらいやらないとダメかもしれない」という思いです。このような「根拠のある」と感じる危険な攻撃は、怖いと思いながらも、必死で悲鳴を押さえ込み、目を逸らさずに見続ける“覚悟”を引っ張り出すのです。三沢vs小橋や丸藤vsKENTAのように。
「根拠」は時間軸に沿った蓄積によってしか与えられないものではなく、その試合の中で徐々に形成される場合もあります。一歩も引かない激しいぶつかり合いの中で、「ここまできたら…」という思いが自然と芽生えることがあるのです。1.21NOAH武道館で行われた、佐野vs杉浦はそんな試合でした。戦前は、ちょっとNOAHとしては毛色の変わった試合が見れるかもしれない、という興味で観戦していましたが、佐野がいくらシビアな攻撃を加えても決して折れずに向かってくる杉浦に対して、ついに佐野が顔面へソバットを叩き込んでKO(実際にはレフェリーストップ)するという壮絶な結末に。怖い攻撃ではありましたが、あの試合の杉浦を倒すには、やっぱり「これぐらいは必要だったのだろう」という納得はありました。佐野の顔面ソバットを「根拠のあるもの」にしたのは、そこに至るまでのふたりの戦いぶりにあったのです。
よく試合の決着やそのときのフィニッシュに対して「説得力がある」という言い方をしますが、説得力とは、技の威力ということではなくて、それを出す必要性が伝わるかどうか、つまり「根拠がある」と感じさせる状況を含めたものだと思います。
私が、丸藤が三沢戦に向けて開発したポールシフトを全く評価しないのも、不知火を中心とした丸藤プロレスで三沢を倒してはじめて、決して超えることは出来なくても、三沢という山と同じぐらい高い丸藤という山を築けるのであって、ほとんど垂直落下式の技を使わないというこだわりを見せていた丸藤が、勝つためだけに、頭から落とす技を使うことに「根拠を感じない」からだったと思います。
「どこまでやれば決着するか」という事前の判断が難しい、別の団体に所属する選手同士の戦いであった杉浦vs高岩においては、やはり徐々に進んでいく試合の中で、それなりの状況を作ってからの大技でないと、ただの怖いだけの技になってしまう。奈落パワーボムからなんとか復活した杉浦が、ふらふらになりながらもなお高岩選手の攻撃に屈せず、あまつさえ反撃を始めたことで、最終的に高岩選手が繰り出した各種雪崩式を含む怒涛の垂直落下系の大技は「根拠がある」ものになったかのように見えますが、試合の流れを決定した「根拠のない」大技の印象が最後まで消えることはありませんでした。
同じくSEM大会で、SUWAとシングルマッチを戦った平柳努。奇襲から、ダウンしたSUWAに対してパシパシと平手で叩き、踏みつけるという、「上から見下ろす」的な態度で挑発行為に出ました。が、これも非常に不自然というか「根拠」が感じられませんでした。そういった挑発行動の多いKENTAの場合は、それによって思い切りやり返され、しかし、そこからまた相手をたじろがせるほどの攻勢をかける姿を何度も見てきているため、KENTAの挑発には「根拠」を感じます。挑発とはひとつの意思表示であると同時に、それ以降の戦いぶりがあって始めて意味を持つものではないでしょうか。挑発してもひとたび反撃に会えば、一気にやられっぱなしになるだけでは、その挑発には「根拠がない」と思います。案の定平柳は、怒りの形相で立ち上がってきたSUWAに全て受けきられ、挙句厳しい急所蹴りをくらって失速しました。SUWAの、音が聞こえてくるほどの急所蹴りは、もちろん反則ではありますが、SUWAというレスラーの戦い方という蓄積及び試合のシチュエーションにおいて完璧に「根拠のある」ものでした。後半、平柳が見せたなんとか踏ん張る、食らいつこうという姿勢こそ、今の彼にとっては「根拠のある」ものです。何故、それ以上のことをやろうとするのか。
同じことは、SEMで丸藤と、NOAHで秋山と戦った潮崎にも言えることだと思います。
小橋建太のムーブにこだわる潮崎豪の、水平チョップは板についてきたように見えるし、ムーンサルトは小橋よりも綺麗です。プロレスに限らず、何かを身につけていくとき、最初は模倣から始めるものだし、プロレスの場合は、多くの技が先人によって開発された遺産として、誰でも使えるようになっている以上、技術的な部分で純粋なオリジナルの形を持ったプロレスラーなど存在しないとは言えます。だから、潮崎が小橋と同じ技を使うこと自体は問題ないといえば問題がないはずです。しかし、今の潮崎から小橋建太の技を引いたら何が残るのでしょうか。潮崎豪が潮崎豪というプロレスラーである「根拠」が見えないことを丸藤や秋山は指摘しているのだと思います。小橋建太に憧れて、小橋建太と同じ技を使う、“コピー”であることを目指すならば、それはプロレスラーとは言えない。技は、自分の中にある、それぞれがプロレスに託すパッションを表現する手段に過ぎず、卵から孵化したばかりのひな鳥のように、ただ親である小橋の“姿・形”を追い求めるばかりで、他に広がる広い世界も、自分の可能性にも、自分の今出来ること出来ないことにも、目を向けようとしていないように見える潮崎のプロレスは、秋山や丸藤と戦うことで、何らかの「根拠」を獲得する方向へと向かうのでしょうか。個人的には、本人もファンも悔しくてもやっぱり負けが当たり前だとどこかで思ってしまう「潰してくれる」対戦相手との戦いはもうあまり意味がないように思います。徹底的に腕殺しで蹂躙しながら、最後にリストクラッチ式エクスプロイダーという、現状の秋山と潮崎を考えると「根拠のない」大技で仕留めて、潮崎の“価値”をギリギリ守った秋山さんのような戦いならなおさら。追い越される怯えを感じさせる後輩たちや、絶対に負けたくないと思えるライバルが必要なのだと思います。(いないところが潮崎の不幸を生んだわけですけれど)

以上、取り留めのない雑感でした。


相変わらず☆人気blogランキング参加中☆←「読んだら押す!」の習慣が救えるブログもあります(笑)。どうぞよろしく♪

★読んでくださってありがとうございました(多謝!)★

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(3件)

内 容 ニックネーム/日時
プロレスに神様がいるとして、小橋建太がたぶん既に病魔に冒されていたであろう東京ドームの佐々木健介戦で、「このうえない奇跡」をボク等に残してくれた。

刹那の邂逅。一瞬の交錯。200発の逆水平の官能と恍惚。
あの闘いのなかには「プロレス」の過去の蓄積も現在の課題も、そしてなにより未来の道標があったではないか。
一切の煽りも前哨戦もアングルもブックも欲望も損得もなにもない、鍛え上げ練り上げた肉体と精神・誠心のぶつかり合い渡り合い交歓する「魂」の崇高なる戦慄を。

あれをして「ふたり」はひとつの奇跡を残し、方や遥かに強敵な己の運命と、こなた委ねるべき未来の若者たちの礎とならんと、バーニングハンマーもノーザンライトもない、「未完成で完璧」な一戦だけを置き土産に各々の軌跡を辿る。

その舞台を整えしNOAHが、「そこ」を示した小橋の上陸地点を目指さないのは不可思議な話ですね。
いしかな
2007/01/25 02:37
ボク(等)はそしてふたたびの奇跡を焦がれたろうか?
200X’東京ドーム
GHC王者・小橋建太 対 三冠王者・佐々木健介
と。
いしかな
2007/01/25 02:48
きのうえむが、高岩にいいんちょーは杉浦までいいんちょーは杉浦に試合したかもー。
BlogPetのえむ
URL
2007/01/27 11:23

コメントする help

ニックネーム
URL(任意)
本 文
「根拠がない」と感じること〜’06.12.23 SEM G+観戦からの雑想〜 プロレスLOVELOVE愛してる/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる